耳塚(鼻塚)

ポイント
豊国神社や方広寺の近くにある史跡です。
豊臣秀吉の朝鮮出兵で、日本軍は朝鮮の軍民の鼻を切り取り、戦功の証明としました。
この鼻は日本へ送られ、方広寺門前に鼻を埋め塚が造られます。この塚がはじめ鼻塚、後に耳塚と呼ばれるようになったとのことです。
1898年の秀吉三百年忌に「豊公三百年祭」が行われ、あわせて耳塚とその周囲が整備されました。
当時の著名俳優が石柵を寄進し、石柵には役者名が刻まれています。