大徳寺

ポイント
臨済宗大徳寺派の大本山。室町時代に応仁の乱で荒廃するも、一休和尚が復興しました。
桃山時代に豊臣秀吉公がかつての主君・織田信長公の葬儀を営み、その菩提を弔うために塔頭「総見院」を建立。併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ、隆盛を極めました
千利休により増築された三門二階部分を「金毛閣」と称し、そこに利休の像を安置したことを秀吉公の怒り、利休自決に至ったといわれます。

◆織田信長公の墓や座像がある塔頭「総見院」は通常非公開です。