法住寺(ほうじゅうじ)

ポイント
平安時代の中期、藤原為光公により創設されたお寺です。
後白河上皇の院政期にその宮廷「法住寺殿」が、法住寺の地に営まれたことで知られています。
「三十三間堂」はかつて法住寺殿内の御堂で、今でも法住寺と三十三間堂は道を挟んでお隣にあります。

【身代り不動明王(みがわりふどうみょうおう)像】」
慈覚大師が造顕したご本尊。「身代りさん」と呼ばれ、多くの参詣者が訪れます。
1184年の法住寺合戦で、後白河法皇の身代りになったと伝えられます。

【源平ゆかりの地】
源(木曽)義仲公が法住寺殿を襲撃したのが、法住寺合戦。
高倉天皇の中宮・徳子(平清盛の娘)は、後白河法皇の猶子として、法住寺殿より入内しました。